青砥

(あおと)

〜青戸平和公園・青砥神社〜

「葛飾区シリーズ」の第5回目は「青砥」を散策して参りました。 ところで「青砥」なのですが、
地名は「青戸」となっておりますが、やはりそちらの方が正しいのでしょうか? そんな疑問を
抱えつつ駅前商店街や神社、公園や中川沿いを巡ってみましたが疑問は解決されず。(オイ)
それでは、どうぞご覧下さい。
青砥駅
青砥駅前通り商交会
福森稲荷神社
京成電鉄に乗りまして、やって来ました「青砥」へっ!
でも実際に乗ったのは京急の車両でした〜。(前にも見たぞ!)
そんな訳で恒例の駅前写真からどうぞ。(写真左上)
ご存知の方も多いかと思いますが「青砥駅」は高架駅です。
京成本線と京成押上線が合流しますので、
高架が2重構造になっておりますがそれはまた後ほどに。

まずは駅前の商店街を立石方面へと歩く事にしました。
こちらは「青砥駅前通り商交会」でございます。(写真右上)
新しいお店の中に古い商店もあってなかなか味わい深いです。

商店街を逸れまして中川方面へと歩いて行きますと、
早速「福森稲荷神社」に辿り着きましたよ。(写真左側)
今回も続々登場しますよ神社が!と言う事で最初のお参りを。
青戸鬼子母神
中原八幡神社(1)
さて最初のお参りを済ませて再び駅方向へ向かうと、
こちらの「青戸鬼子母神」がありました。(写真左上)
「おぉ〜鬼子母神ですか!それは拝んでいかねば!」
なんて思いながら立て続けにこちらでもお参りを。
本当に節操がないなぁ〜自分と思った瞬間でした。(オイ)

そして再び青砥駅前通り商交会へと出まして歩いて行くと、
こちらの「中原八幡神社」に到着しました。(写真右上)
もう早くも2ヶ所目の神社ですよ!飛ばし過ぎかな?

そんな訳で鳥居を潜り手前の駐車場を通り抜けて、
本堂の前でもう一枚撮影しました。(写真右側)
なかなか立派な本堂だなぁ〜などと思いつつ、
今回3回目のお参りを済ませたのでした。
中原八幡神社(2)
北ウイング青戸
青戸サンロード
青戸ミナミ通り
さてさて京成線の高架下を潜って歩いて行きますと、
人々で賑わっている商店街へと入って行く事になります。
先ずはこちら「北ウイング青戸」でございます。(写真左上)
「北ウイング」と言いますと「成田空港」を思い浮かべますが、
やはり京成線が通っているからでしょうか。(違うかな?)

青砥駅北口の交差点を渡りますとまた違う商店街となり、
こちらは「青戸サンロード」なる商店街です。(写真右上)
左手にある「セイフー」というスーパーを通り過ぎますと、
今度は「青戸ミナミ通り」なる商店街があります。(写真左側)
別名「青戸団地南側商店会」と看板の上に記載されてます。
ミナミという片仮名表記に心惹かれる物がありますが、
ここはグッと我慢して通り過ぎる事にしたのでした。
青戸平和公園(1)
青戸平和公園(2)
商店街を抜け「青戸団地」を通り過ぎて歩いていくと、
こちらの「青戸平和公園」に辿り着きました。
まずは公園のシンボル的存在な噴水を一枚。(写真左上)
左手に進みますと石碑があります。(写真右上)
まだ「青戸公園」と呼ばれていた当時の物でしょうね。

この公園は昭和20年に野球場として開園されたそうで、
昭和45年には森林公園として整備され、
昭和61年には名前に平和が付き現在に至っているそうです。

噴水の先には人工的なせせらぎが流れておりまして、
子供達が多く遊んでいる光景が見られました。(写真右側)
この他にも遊戯施設が多く取り揃えられております。
青戸平和公園(3)
テクノプラザかつしか
使われていたフードプレス
水戸街道(国道6号線)
さて「青戸平和公園」を離れてちょっと歩いて行きますと、
こちら「テクノプラザかつしか」があります。(写真左上)
正式名は「葛飾区地域産業振興会館」だそうで、
大小の会議室やホールを使用する事が出来るそうです。
また、左手にはレストランも営業しているそうです。

そして左手に目を向けますとこんな物がありました。
こちらは以前使われていた「フードプレス」です。(写真右上)
こういった機械が葛飾区の産業を支えていたのでしょうね。

そんな訳で「テクノプラザかつしか」を後にしますと、
「水戸街道(国道6号線)」へと出ました。(写真左側)
真っ直ぐ進むと環七通りと交差する「青砥陸橋」があります。
御殿山公園
葛西城復元図
しかしここは「水戸街道」から再び住宅街に入って進むと、
こちらの「御殿山公園」がございます。(写真左上)
見た限りでは普通の公園のように見受けられますが、
ブランコの右側に何かしら案内板らしき物がありまして、
行って見ると「葛西城復元図」がありました。(写真右上)

昔はこの地に葛西城が建っていたという事ですね。
建立時期は定かではないそうですが、
江戸時代の初期まで宿舎として使われていたそうです。

そして公園裏側にはこちらの碑があります。(写真右側)
「葛西城を偲ぶ碑」だという事です。
葛西城を偲ぶ碑
環七通り
葛西城址公園(1)
葛西城址公園(2)
さて公園を出ますと「環七通り」が通っております。(写真左上)
亀有方面を撮影し、先に見えるのは「青砥陸橋」です。
環七通りが作られる前に葛西城の発掘作業があったそうですが、
今はこの通り見る影もないといった状況ですな…。

環七通りを渡って行きますとまたまた公園がありまして、
こちらは「葛西城址公園」でございます。(写真右上)
こちらに本丸の一部があったそうですが、
現在は子供達の遊び場になっております。(写真左側)

この下に葛西城が埋もれているのかと思いますと、
何とも言えぬ気分になってしまいますなぁ。
青砥神社(1)
青砥神社(2)
「葛西城址公園」を後にして中川方向へ歩いて行きますと、
こちらの「青砥神社」に到着します。(写真左上)
青戸、白鳥の総鎮守であるとの事だそうで、
この辺りの神社としては大きい方だと思います。

そんな訳で境内に入り本堂を撮影。(写真右上)
これまた立派な造りの本堂ですなぁ〜。
と言うことで今回4回目のお参りを済ませました。

そして道を隔ててお隣には寺院さんがあります。
こちらは「観音寺」というお寺です。(写真右側)
正面に写っているのが観音堂かな?
観音寺
慈恵医大青戸病院(1)
慈恵医大青戸病院(2)
慈恵医大青戸病院(3)
「青砥神社」と「観音寺」を後にして歩いて行きますと、
「東洋インキ製造」の跡地が広がっているのですが、
そちらを抜けていきますと間もなく大きい病院に到着。
こちらは「慈恵医大青戸病院」でございます。(写真左上)

これで東京都内にある「慈恵医大病院」を制覇しましたな。
因みに本院が「新橋」に、第三病院が「狛江」にあります。
最近は色々取沙汰されていますがそれは割愛しまして…。

と言う事で改めて病院入り口を撮影しました。(写真右上)
散策当日は休日だという事もありまして閉まってました。
そして「青戸六丁目広場」と合わせて撮影。(写真左側)
でも何で大病院って遠めに眺めると怖く見えるのでしょうか?
鉄橋と高砂橋
中川と新中川との分岐点
慈恵医大青戸病院の裏側は「中川」が流れておりまして、
土手へと上がって川沿いを歩いて行きました。(写真左上)
京成線の鉄橋に電車が通るのを待っていたのですが、
こういう時に限って通らないんですよね〜。
その奥の吊橋は一般道路の通る「高砂橋」です。
橋を渡りますと「高砂」に入りますが、そちらについてはまた今度。
高砂橋の交差点を渡りまして引き続き川沿いを歩きまして、
暫くすると「中川」が分岐して流れていきます。(写真右上)
右手が中川で、左手が新中川になっていまして、
真ん中に島みたいにあるのは「高砂1丁目」でございます。
更に中川沿いに歩き「青砥橋」を潜っていきますと、
遠めに「青砥駅」が見えて参りました。(写真右側)
最初に紹介した通り二重構造になっておりまして、
上が下り(成田方面)で、下が上り(上野・押上方面)です。
そんな訳で「青砥散策」はこれにて終了です。
遠くに青砥駅を望む
さてさて「青砥」と「青戸」の違いについて調べたのですがなかなか難しく(オイオイ)、
元々は「青戸」だったそうですが、鎌倉時代の名高い臣人「青砥藤綱」が住んでいた
事からその名が付いたという説があるそうですが、これは仮説なのではという事です。
う〜ん、なかなか地名って難しいですよねぇ。隣の「亀有」も昔は「亀無」でしたしね。

Update 2006.7.1